杉本博司 / HIROSHI SUGIMOTO

1992年、私はエルサレムの美術館に招かれて初めてイスラエルの地を踏んだ。私は展示を終え、自ら車を繰って北に向かいSea of Galileeへと向かった。湖なのに海と呼ばれる地に私は関心を寄せていた。この地でイエス・キリストは宗教者としての活動を始めたからだ。その地には霊性に関わる何かがあるはずだ、私はその土地を感じてみたいと思ったのだ。
 そこは死海から続く砂漠のような地の果てに忽然と現れた緑豊かなオアシスのようだった。清らかな水の存在が豊かな緑を育んでいたのだ。そして海より低い海抜マイナス213メートルの湖面には特別な気が流れているような気がした。私はキリストが説教をしたとされる丘を巡り、そして湖上を歩くという奇跡が起きたとされる場所に至った。私はおもむろに暗箱を組み立て、彼のひとが歩く気配を待って、暗箱に光を導き入れた。この辺りはゴラン高原と呼ばれ、かすかに戦雲が棚引いているのが遠くに目視された。

杉本博司

ガリラヤ湖、ゴラン / Sea of Galilee, Golan

 

1992

杉本博司は1970年代より、ニューヨークを拠点として、独自のコンセプトによる写真作品を中心に制作活動を行ってきた。近年はさらに、古美術や歴史資料等の蒐集や建築、造園、文楽などの舞台演出などへと活動領域を 拡げ、時間の概念や人間の知覚、意識の起源などについての探求を続けている。ホテルのフロントを飾る作品として、杉本自らが選んだ作品《ガリラヤ湖、ゴラン》は、歴史あるホテルの佇 まいに相応しい静謐さを湛えながら、訪れる者を迎え入れ、訪れた者は、まずその場と対峙し、日常から非日常 の空間へと入り込むことを意識する。〈海景〉は、〈ジオラマ〉や〈劇場〉と並ぶ、杉本の代表的なシリーズで ある。〈ジオラマ〉では、広角レンズで近距離から撮影された自然史博物館のジオラマが、静物でありながら臨場感を放ち、我々の視覚は現実と虚像の間を往来する。また〈劇場〉では、シャッターを開放にした長時間露光 の撮影により、スクリーンに映し出された映像は光の集積として、純白の平面へと還元されている。いずれのシリーズも人間の知覚を揺さぶり、時間についての概念を問いかける。〈海景〉は、「古代人が見ていた風景を、現代人も見ることは可能なのだろうか」という問いに始まり、「自分の記憶の中で映像化されてしまっている海」を探し求めて、1980年より世界中を旅して水平線を撮影し続けて きたシリーズである。全ての作品の画面は空と海に二分され、その中に無限の階調が広がっていく。杉本が探し求める「海」とは固有の海ではなく、記憶の中にゆっくりと立ち上がっていく、普遍的な海の「イメージ」である。それは、遥かな時間を内包する杉本の意識の原点であるとともに、人類の意識の原点をも呼びおこす。写真 に収められた瞬間は、水平線の彼方へと途方もなく広がり、そのまま永遠と一致していくような時間の円環へと 我々の知覚を誘う。 この作品の撮影が行われた周辺はイエス・キリストの活動の中心地のひとつであり、ガリラヤ湖がキリストが湖上を歩いたとされる奇跡が起こった場所として福音書に記されていることから、このホテルが位置する地域に活力をもたらすようにとの願いを込めて、この作品が選ばれた。

杉本博司 : SPECIAL INTERVIEW

個人史と人類史が重なる記憶の根源へ
ホテルエントランスに佇む、杉本博司の『海景』

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